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西独ポン大学教授ハンス・グルーレは昨年の秋にその生涯を終えた。ドイツ精神医学のすぐれた老世代の中から一つの名前が消え去つたわけである。昨年の暮,未亡人から思いがけない計報を受けとつた時に,私は嘗つて彼のもとですごした2年間余のボン大学での生活を懐しく想いおこさざるを得なかつた。回想のグルーレは,老令にもかかわらず,教室に急ぎ足で入つてくるやいなや,目のさめるような見事な早口の講義を始める生き生きとした小柄な姿である。ドイツには老教授で,洗練された,殆ど芸術的な,といつてよいほどの格調ある講義をする人がよくあるが,グルーレもその1人で,語るどの一語もよく選ばれているという感じであつた。臨床講義でも患者の症状を記述する時の表現の適確さ,語感の繊細さも驚くべきもので,私は一度でもよいからこんな講義をしてみたいものだとよく思つたものだつた。私が彼から学んだことは,いくつになつても衰えない学問的関心の旺盛さということや,いかに広い人文的教養が精神医学に必要かということと共に,真実を真実とし,不明なことをいさぎよく不明とする厳しい批判的態度であつた。それは殆どドライな彼の簡潔な文章にも現われているし,またゼミナールのときなどに最も明らかになるのであつて,彼は1つ1つの概念規定を実に綿密にやらないと気がすまないのであつた。例えば,いいかげんな意味で「コンプレックス」という言葉をつかつた医局員を,彼は徹底的に追及するのであつた。そんな時の彼は鋭く皮肉であつたが,それ以外では暖いユーモアにみちた,親切な人間であつた。若い後進を愛し,よく面倒をみていた。私はしばしば彼の家庭に招かれたが,彼は遠い東方の客を,彼がたおむれに「内陣」(サンクトアーリウム)とよんでいた彼の広い書斎に招じて厚くもてなしてくれた。そこには壁面を床から天井まで埋める何万冊もの蔵書と,アフリカ土人のつくつた彫刻や,ある分裂病者の描いた「いくら見ても見飽きない」と彼のいう大きな絵や,古代の陶器などが置いてあつた。シレジア地方で生れてから今日までの彼の生活史の中で彼が好んで語るのは,マックス・ウェーバーやヤスパースなどと活躍したハイデルベルク時代のことであつた。なかでもマックス・ウェーバーには,彼が学問的態度乃至方法論を学んだ人として高い尊敬を払つていた。ウェーバーが書きものをする時は,しばしば発想が次々と湧いてくるので,いくら速く書いても手の方がまにあわなかつたといつたようなウェーバーのアネクドートを多くきかされ,またヤスパースやグルーレ自身の当時のエネルギッシュな勉強の様子をきかされると,いわゆるハイデルベルク学派を生みだした当時の調子の高い学的雰囲気がよく伺えるのであつた。ナチスの時代になると,彼は批判的であつたために迫害されたが,ヤスパースのように亡命せず国内にとどまつた。グルーレには,周知のように多くの専門領域での著作や論文があるが,その他に歴史記述の心理学や,案外知られていないものでは,「ポルトレート」というフィジオグノミー研究の好著もある。最近は古代ギリシアのディオニソス秘儀における宗教的陶酔状態とか,ギリシア劇のマスクの変遷などを手がかりとしたフィジオグノミーの研究などにうちこんでいたようであつた。彼はクレッチユマーにも,実存分析にも,またアメリカの精神医学に対しても,極めて批判的ではあつたが,然し新しいものが生れてこなければならないこともよく知つていた。だがまた自分たちハイデルベルク学派の節度ある,控え目で厳しい科学的了解ということがいつの時代にも,科学としての精神医学のあり方に反省のよすがになると確信していたようだつた。
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