巻頭言
操作的診断は認識革命か?
石郷岡 純
1
1東京女子医科大学医学部精神医学教室
pp.4-5
発行日 2005年1月15日
Published Date 2005/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405100164
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先日「DSM-IV-TRケーススタディ」(高橋三郎,染矢俊幸,塩入俊樹訳,医学書院)を読んで非常におもしろく感じた。ミニ・ケース・カンファレンスのような記述で書き進められているため臨場感がある一方,ある診断カテゴリーに行き着いた後は,臨床医各人が自分の関心にそって自由に思考をめぐらすことのできる開放感が得られるのである。これはかつて筆者が精神科医になった頃の診断学からは,決して得られなかった感覚である。果たしてこの違いは,筆者が多少とも精神科医として成長したからなのか,それとも操作的診断体系のなせる業なのか,しばし考えさせられた。
従来診断と操作的診断の違いは真に大きい。その違いはなぜ生まれたのだろうか。生物学的研究など,近年進歩の著しい学問上の変化があったためという説明はあたらないであろう。現在の操作的診断基準の中にも,最新の知見と呼ぶべきものはほとんど含まれていない。従来診断では診断一致度が低く有用性が乏しいからという説明も,一部しか言い表していない,ないしは後付けの理屈のように筆者には思えてしまう。従来診断から操作的診断への転換は,おそらくは一種の思考のパラダイムシフトであり,こうした現象が起きるためには何か思想上の大きな変化がなければならなかったはずである。
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