巻頭言
言語と論文
篠山 重威
1
1京都大学医学部第三内科
pp.1147
発行日 1992年12月15日
Published Date 1992/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1404900580
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先日ある雑誌の誌上座談会に出席した.後でその速記録を見せられて論理の展開のまずさと,表現の冗長さに我ながらあきれた.岩波新書に清水幾太郎の「論文の書き方」という本がある.この本は文を構成する上で非常に参考になる.彼は,まず論文は話すように書いてはならないことを強調する.座談会での自分の発言をみると相当に長い句が「が」という接続助詞で結びつけられているのに気づく.「が」は無規定的直接性をそのまま表現するのに適している言葉である.即ち,「が」は「のに」や「にも拘らず」,「ので」や「ゆえに」などの具体的関係がそこから成長していく一種の抽象的な原始状態を意味する言葉である.清水によるとこの無規定的直接性を克服するには人間の精神が強く現実へ踏み込んで,その力で現実を成長させ,分化させなければならないという.会話の中では「それゆえに」や「それにも拘らず」はほとんど使われないで「が」によって句と句が無限に繋ぎ合わされていくことが多い.清水幾太郎は「が」は小さい魔物であるとする.「が」の代わりに二つの事実関係を十分認識出来る表現を使うには,精神が能動的姿勢を取らなければならない.
次に座談会の発言の中に主語のない文章が多いのに気づく.清水は若い頃「社会学雑誌」の紹介と批評という欄に発表したある論文を「ひとが社会を……」という文章で書き始めたという.欧文ではoneやmanという不定人称名詞で始まる文章が多い.
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