Coffee Break
「見る」まとめ 終るにあたって
長廻 紘
pp.1953
発行日 2013年12月25日
Published Date 2013/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403114031
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「見る」まとめ 終るにあたって 12回にわたって診断学とくに内視鏡において基礎となる「見る」ことについて考えてきました.人間の歴史とは,大げさにいえばあらゆる分野で,見えないものを見えるようにしてきた歴史といっても過言ではありません.人の大脳の60~70%がなんらかの形で視覚に関わっています.内視鏡について言えば,外から見えない体内へ道具を入れるという長い長い助走期があり,次いで胎内を照らす技術の完成までの長い試行錯誤が続きました.よく見えるようになっても,そこに止まらず,色素撒布などによってはっきりしないものを明瞭に,超音波による表面からはうかがい知れない深部の観察を可能にしてきました.生検もよく見る努力の一環といっていいでしょう.
見視観といいます.意識を集中して見る努力を続けると,よく見えるようになります.しかし,観はその延長線上にはなく,超えることのできない一線が多くの人に立ちはだかります.そうではあっても,いま現に見ているのは目で,脳で,あるいは心で見ているのかが分かっていることは大事な留意点です.医者は他の職業人以上に見視観に関わるそれぞれの器官(観に携わる器官は心,すなわち全身)と,得られたものの分析能力を磨くことが求められています.なにかを見るとは,つまるところ自分を見ることに還ってきます.見るとは知るです.物や事には幾重にもヴェールがかかっています.事物を見る人にも同じくヴェールがかかっています.人が自分にかかっているヴェールを剝ぎとる程度に応じて,事物のヴェールもとれてきて,真相に近づけます.
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