追悼
佐野量造先生を惜別して
望月 孝規
1
1東京都立駒込病院病理学科
pp.520
発行日 1976年4月25日
Published Date 1976/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403107161
- 有料閲覧
- 文献概要
佐野量造先生がなくなった.まだ52歳の若さであった.昨年8月の早期胃癌肉眼分類についての座談会で会ったのが,最後だった.この問題のために,先生は多くの検討症例を準備して下ごしらへをし,また席上でも自己の考へ方をいつもの様に卒直にはっきり話して,いくつかの論点を明にした.その折,先生の議論が,以前よりすこしおだやかになった様に思へた.10月に,先生が長崎での学会で,Skirrhusのシンポジウムの司会をしたとき,参会した同僚からきいたとこころによると,何となく元気がなかったとのことであった.すでに宿痾が進んでいたのだらうか.それ以後,種々の会合で先生と会ふことはなかった.
先生と私の出会ひは,私が1963年に帰国して早期胃癌研究会に出席したときから始った.互に10数年間病理形態学に携はりながら,相触れなかったが,先生が上京後,新設の国立がんセンターに働き場を作って後は,胃癌についての諸種のArbeitskreisでは,しばしば会ひよく話し合った.公開の席で討論しあふことも多かった.先生は実に粘り強い病理形態学者であった.それに加うるに,厖大な資料と広汎な文献的考察を用いて,消化管腫瘍について数々の優れた仕事をあきらかにした.これらについては,国立がんセンターを中心とする多くの共同研究者の協力と共に,この道の先達としての故久留勝先生の誘掖があったことと思はれる.又,以前より師事した故木村哲二先生の考を踏襲しておしすすめた,各臓器や組織の肉腫についての仕事も,高く評価されるべきである.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.