追悼
佐野量造博士を偲ぶ
市川 平三郎
1
1国立がんセンター放射線診断部
pp.519
発行日 1976年4月25日
Published Date 1976/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403107160
- 有料閲覧
- 文献概要
「お互いに亥年だから,我が強いんだね,アッハハ」というセリフは,彼が,がんセンターに着任して早々から,死を迎える病床を見舞った時まで,何度聞いたことか.
豪快さの中に,意外に気弱なところがチラつく彼,国立がんセンターの同じ4階の斜めに向い合った研究室同志,出身校は違っても,同年であるということのための気易さから,随分とお互いに勝手なことを言い合った彼.性格が似ていると本人はいうが,意志の強さの点では,遙かに私より上であった彼.その意志の強さが,病理学の畑では,むしろ未開の分野に近かった胃の微細な病変について,肉眼所見と組織学的所見とを,丹念に結びつける貴重な仕事を継続させ発展させるのにカがあった.これが,胃の診断学の進歩にどれぐらい役に立っていたか,言うべくして行われ難い,臨床と基礎のかけ橋の役目をどんなに立派に成し遂げて来たことか.だから彼の研究室に入りびたっている研修生や,定例の彼の研究室主催の研究会のご常連の中には,病理を専門とする人達のみならず,外科,内科の診断治療医がどんなに多かったことか.診療に携る第一線の医師の悩みに,ずばり答えてくれる迫力をしたって,どんなに多くの熱心な開業医が,彼に弟子入りしたことか.やや,教祖的風格があった.あんまり研修医の出入りが多すぎるという批判も出る程であった.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.