今月の表紙
医学者プルキニエの業績
小川 鼎三
1
1順大医史学
pp.1143
発行日 1971年6月10日
Published Date 1971/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402203746
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ボヘミア生れの大学者で,医学界に数々の功績を残した人である.ドイツ式にはJohannes EvangelistaRitter von Purkinjěといい,私どもはふつうにプルキンエと呼んできたが,本当の名前はPurkyneであり,プルキニエと呼ぶのがよいらしい.1787年12月の生れで,初めは僧職についたが,チェコの首府プラーハで医学を修めて,間もなく解剖学と生理学で頭角をあらわした.
とくに1823年に発表された彼の論著「視覚器と皮膚系の生理学的研究」は数多くの新知見を述べている。この論文を当時まだ22歳のヨハンネス・ミュラー(1801年生れで当時ベルリン大学のルドルフィの所で研究中)がプロシア文部大臣の要請により読んで,さっぱり価値を認めなかったことが,今日ではふしぎなこととされている.ゲーテはこの論文を読んで,プルキニエと交際を結んだといわれる.
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