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第9回国際癌会議をかえりみて
太田 邦夫
1
1東大・病理学
pp.177-179
発行日 1967年2月10日
Published Date 1967/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402201652
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国際対癌連合の主催する国際癌会議は、1932年Madrid以来,1962年Moscowにいたるまで,すでに8回を閲していたのであるが,開催地は,欧州および米州にかぎられ,世界で最大の人口を有するアジア地域には開かれたことがなかつた。日本は1935年Brussels会議にさいしてアプローチを受けたほどで,山極-市川,佐々木-吉田と,発がん研究の基礎的方向において,いちじるしい貢献の歴史があるとともに,アジア開催となると,経済的諸条件のうえからも最大の候補者となるにふさわしいことは論をまたないところである。1960年日本において連合の理事会が開催せられたのを期として,故田崎勇三博士が中心となつて,1960年の会議を日本に招請する努力が行なわれ,1962年のMoscow会議でこの案が決定された。
国内では1962年決定の直後,日本学術会議がん研究連絡委員会を中心に,国内組織委員会を結成し,会期,会場,学術プログラム,資金,その他の万般にわたって準備を進めた。その事務局は東京において,財団法人がん研究会がん研究所内におき,委員長吉田富三博士の指揮のもとに,関係者は万事を放擲して働いた。幸いにして資金面もかなり明るい見通しがたてられたのは、その後のながい財界の不景気にもかかわらず,財務委員長として樋口一成博士が努力せられたことによる。
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