海外だより
EXPLORE AND DREAMその2—New Orleansより友へ
黒島 晨汎
1,2
1北大・生理学
2現在Tulane大学
pp.1362-1363
発行日 1965年9月10日
Published Date 1965/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200988
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〈重苦しい雰囲気の人種差別〉
Charity Hospitalはその名称から想像がつくように,州によつて貧しくて十分な医療を受けることの出来ない人々のために運営されている病院ですが,同時に両医学部の臨床教育,臨床研究の場としての役割を受持つています。19階3,000ベッドを有する巨大な病院ですが,ぼくがアメリカ南部における人種差別の具体的な姿を初めて見たのは,この病院においてでした。いまでもその時の驚きをはつきりと覚えています。病院の患者用の玄関はどこも「白人用」「黒人用」の文字が刻まれていました。急患用の玄関でさえないことではありませんでした。待合室,便所,病室は勿論区別されていました。ぼくがここで過去形を使つたのは,最近これらの区別を示す文字が削りとられたからです。これはアメリカの人種問題において歴史的事件といわれる1964年7月の公民権法の施行に伴つて起きた変化の一つなのです。しかし現在でも,白人は従来白人用であつた玄関を,黒人は相変らずもとの黒人用の玄関を使用しているのです。病室は病院側の配置処理によつて,その80%が差別を撤廃されたと最近の新聞が報じていました。ところで,ぼくには,この玄関が現在でも相変らず区別されて使用されていることを,それが単なる惰性であると考えられないような重苦しい雰囲気がここでは感じられるのです。
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