公衆衛生人国記
奈良県—行政と県立医科大学の連繋
森山 忠重
1
Tadashige MORIYAMA
1
1奈良県立医科大学公衆衛生学
pp.860-862
発行日 1990年12月15日
Published Date 1990/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900244
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はじめに
奈良県の公衆衛生活動を展望すると,県には自前の県立医科大学(以下医大)を運営しているから,県民の保健サービスは行政や医師会に加え,大学も緊密な連繋を保ちつつ行われているとみれよう.小規模財政の奈良県が医大運営をするに至ったのは,戦中の軍医養成という国家的要請と,県下40カ村にも及ぶ無医村解消という県民の要望に基づくものがあった.間もなく終戦となり,学校運営は県財政の貧困,医大設置基準の改革等により切迫し,大学の存廃が県議会で論議されるに至った.時の奈良県知事奥田良三氏は,県政の重要施策に県民の保健衛生の充実を打ち出し,県立医大を県民の保健医療センターとして位置づけ,医大の存続を支持した.この経緯によって,苦しい県財政の中から,大学の整備拡充に投資が続けられてきた.医大が創立45周年を迎えるまでに発展充実した陰には,昭和26年から昭和54年にわたる,8選知事として県民の保健衛生施策に力を注ぎ,そのセンターとしての医大の発展充実に貢献された奥田知事の大きな功績がある.今日まで大学は,県政の趣旨にしたがって,衛生行政と密接な連繋を保ちつつ,公衆衛生活動を展開してきたことが理解できよう.
奈良県では行政機構簡素化のあおりを受け,衛生部が廃止され,厚生労働部に合併された時期があった.昭和50年度の国政調査で,県民人口100万人突破が明らかになり,20年ぶりに衛生部が復活することになった.
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