大学とフィールド
二県一医大から一県一医大へ,そして今日—〈鳥取大学医学部衛生学教室・公衆衛生学教室〉
渡辺 嶺男
1
,
石沢 正一
2
Mineo WATANANABE
1
,
Shōichi ISHIZAWA
2
1鳥取大学衛生学
2鳥取大学公衆衛生学
pp.888-889
発行日 1980年12月15日
Published Date 1980/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206218
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●はじめに
生理学教室,細菌学教室,生化学教室などから派生した時代の衛生学教室は,出自の色彩がはっきりしていた.戦後,衛生関係の講座が2講座以上となり,新設の大学医学部,医科大学が増えたこともあって,衛生学教室ならびに公衆衛生学教室が土着のものとして,固有の思考方式をもって活動するようになった.また,その活動が,大学対地域という図式ではなく,地域の草の根運動にブレーンとして,または直接に推進活動を行なうといった事態となった.
鳥取大学医学部は,昭和20年に設立された米子医学専門学校を母体とし,昭和23年に昇格した米子医科大学を経て,26年に鳥取大学医学部となった.キャンパスは,初期の校名が示す通り,鳥取県米子市に所在する.昭和50年には看護学科と衛生技術学科との合同による医療技術短期大学部が,米子市にできた.
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