特集 公衆衛生院40年の歩み
公衆衛生院における研究の動向
疫学
重松 逸造
1
1国立公衆衛生院疫学部
pp.236-240
発行日 1978年4月15日
Published Date 1978/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205587
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はじめに
世界的にみて,いわゆる古典疫学の発祥を,Panumのファロー島における麻疹流行の観察(1846年)1)やSnowのロンドンにおけるコレラ伝播様式についての報告(1854年)2)に求めるとすれば,これらの時期はそれぞれわが国の江戸末期である弘化3年と嘉永7年に相当する.ちょうど,蘭学が全盛期を迎えようとしていたが,もちろん疫学とはまだ縁の遠い時代であった.当時,イギリスでは既にRoyal Epidemiological Societyが設立されていた.
明治に入って,ドイツ医学の輸入とともに,Epidemiologie(ドイツ語)という言葉も知られるようになった.明治22年(1889年)に森林太郎(鷗外)は,Pettenkoferの論文中に現われたこの言葉を "疫癘(えきれい)学" と訳し,富士川游は,その著『日本疾病史』(1912年)の中で "疫病学" と呼んだ.その後,疫理学,疫学,流行病学などの名称が用いられていたが,これがわが国ではじめて正式の研究施設名に採用されたのが東大伝染病研究所疫学研究室(主任・野辺地慶三)で,それは昭和5年(1930年)のことであった.
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