私の意見
田舍開業医と予防接種
津田 順吉
pp.170-171
発行日 1971年3月15日
Published Date 1971/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204225
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まえがきをお許し得たい.ガダルカナル,ニューギニア作戦の時,シンガポールの寺内という指揮官のもとで若い衛生部参謀として衛生部の計画をたてたのが私の後輩だった.彼は同窓の多くの軍医をこの地方に派遣した.その多くの軍医は亡くなった.彼はこのことが忘れられず,今孤島の開業医となって,ひっそりくらしている.ガダルカナルに行ったうちの1人が東北の一寒村の開業医をしている.ガダルカナルのことを語らない.時たま夫婦でわが家に現われてわが女房の茶をのむ.この世にこんなうまい茶があるかとこぼす.彼は柔道五段のわざしだったのに今は小柄な女房の方が強く,どうかすると押入れに入れられて閉ざされる.その押入れの中で,ガダルカナルの傷病兵を思い出す.ニューギニアに行ったものもいる.山の上から遙かにポートモレスビーを見た.彼もニューギニアを語らない.同行した兵の話によると海岸に大きい丸太がごろごろしていた.それが大蛇だった.結局それも食料になった,そして彼は今,人口7,000の村の唯一の開業医である.はじめ,彼は洋傘を自転車につけて往診をしていた.今は自動車である.時々私をのせてくれる.その時に悩みをきかす.彼は村の学校医,予防接種を1人でやっている.近頃「ますます注射がこわい」という.いろいろと予防接種の文献をよんだ.ますます恐しくなった.このことは前記の3人とも同じ状態だった.私はこの3人のために叫びたい.
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