教室めぐり・12 横浜市立大・公衆衛生学教室
行政と研究との接点を
宍戸 昌夫
pp.41
発行日 1970年1月15日
Published Date 1970/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204016
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教室の沿革
当教室の設立から現在に至る経緯は若干変則的で複雑である.それは国立大学と異なって,講座制度が確立しないままに教育研究の体制が進められてきたことにもよるものである.
1944年に設立された横浜市立医専が卒業生を出さないうちに,1947年には旧制医科大学が開設され,衛生学関係は医専,医大を通じて萩原兼文教授(現名誉教授)が教室を主宰されてきた.1950年に医大の本科生が2年目を迎えるに当たり,時の学長故高木逸磨博士は,公衆衛生学の講義を開くべきであるという主旨から国立公衆衛生院から宍戸をよび衛生学教室の助教授として萩原教授の下に就け,公衆衛生学としての独立した科目を担当させた.宍戸は研究体制としては衛生学教室に属し,教育面では講義実習を独自に実施し,いわゆる学士試験は独立に単一科目として実施採点に当たった.1952年に新制大学として横浜市立大学の設立が認可されると,医大はその医学部となり医大学長は便宜上医学部長を兼任された.学部長であれば教授である必要性から高木博士は公衆衛生学の教授に就任され,存続中の医大学長の職もある故,教育研究の責任をあげて公衆衛生学教室に移籍した宍戸助教授に委託された.
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