特集 食生活と公衆衛生活動
地域活動
岡山県の栄養改善事業の歩み—都窪郡清音村の地区組織活動を中心にして
難波 三郎
1
1岡山県衛生部公衆衛生課
pp.150-154
発行日 1967年3月15日
Published Date 1967/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203426
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地区組織活動方法確立までの経過
栄養改善事業が本格化するまで
第2次大戦終了までは,主として富国強兵という立場から健兵・健民の手段として健民修練や産業戦士の食糧確保,給食が行なわれ,これを中心とした栄養改善の仕事が進められた。戦後は食糧難を切り抜けるための未利用資源の活用,放出食糧,輸入食糧の食べ方の指導,給食物資の増配などを中心とした栄養改善の事業が進められてきたように記憶している。
考えてみれば栄養というのは,食物を中心にして営なまれる「からだの中のはたらき」のことで,ただ何をどれだけ食べたかということだけで栄養を判定すべきものではない。栄養をよくするには食生活をよくすることは当然であるが,運動,休養,生活環境,精神衛生などの調和が必要であるという考え方から,昭和23年頃から本県ではやや本格的に栄養改善事業が始まったといってよいであろう。それには指導者の養成が必要になってくる。そのため岡山栄養科学園(現在の岡山県立短期大学食物科)を発足させ栄養士の養成を開始した。時を同じくして,今後全県的に栄養改善を進めていくためにはどのような方法をとるべきかという問題と取組み,1つの標準的なものをあみ出すことに努力が払われた。
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