特集 清掃事業の現状と将来
清掃事業の回顧と現状への反省
楠本 正康
pp.229-235
発行日 1964年5月15日
Published Date 1964/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202818
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汚物掃除法以前
人間の生活過程においては,じん芥やふん尿は必然的に排出されるもので,これを何等かの形で処分しなければならない。ふん尿は,かつてわが国では,流水に流し去って処分することが広く行われていたようであるが,一部は地下滲透の方式が採られていた。鎌倉時代以後,農業が発展するにつれ,家畜に乏しいわが国では,ふん尿が肥料として極めて重要な地位を占めた。その結果農家の汲み取りによって,おのずからのうちに収集処分が行われるようになった。この間,江戸や大阪では,繁華街や祭で人出の多い場所に農民が肥桶をおいてふん尿を集めて持ち帰ることが行われ始めたが,まことに不衛生であり,美観のうえからも好ましくないので,町奉行が一定の施設基準を設け,許可制度によって取り締った。これがおそらく日本における清掃行政の最初のものであろう。
いずれにせよ,農家の自由汲み取りによるふん尿の処分は,支障なく最近まで続いていた。明治37年に汚物掃除法が制定されてからも,この方式はそのままつづいたが,明治末頃から都市が近代的に発達するに伴い,農家の汲み取りは局所的に行き詰りを来たすところも現われ,少数の汲み取り業者が農民に代って農村還元を行った。大正7年に東京市ははじあて市費を計上して,市の責任で一部汲み取りを行うようになった。その後大阪市などの大都市においても,市の事業として汲み取りが始められた。
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