綜説
新制保健所10年の回顧
楠本 正康
1
1公営企業金融公庫
pp.513-517
発行日 1958年10月15日
Published Date 1958/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202021
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昭和21年の年の暮だつたと思う。その日は寒い晩で雪が降つていた。高橋さん(現東京都予防部長)の斡旋で,都内の保健所長の方々が浅草の焼け残りのビルの殺風景な地下室に集まられた。壊滅に頻している保健所をどうしたらよいか,ということが会合の一つの目的だつた。私は小林さん(現東京都衛生局長)と一緒に会合に加つた。何しろ,当時は都市の保健所の大部分は戦災を受け全国的に実態がつかめないばかりか,その数や場所すら分らなかつた。なかには,焼け残りの民家の一室に机を2つ3つ並べた名ばかりの保健所すら多かつた。保健所長の立場からいえば,何とかして復興を急いでもらいたいというのが,共通の気持であつたにちがいない。
私も保健課長としてその復興に心を痛めてはいたが,その見通しすらも立たない時だつたので,いうならば保健所長の皆様からつるしあげの形となつたことはいうまでもない。しかし,私もかねて保健所整備の夢と方向を考えていたので,お互に建設的な意見を述べあつた。そして,私は保健所を衛生行政の第一線の綜合的な行政機関とすること,職員は60名程度として課制を設けること,復興の第一歩としては,近代的な建物を全国的に新築することなどを,保健所網の整備計画として,なかば約束した結果となつた。とにかく,この夜の会合は私としては大きな感激であつた。それにこの会合がいまの保健所長会の母体となつたのも思い出である。
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