特集 公衆衛生從事者の諸問題
第3回米国医学協議会に出席して
川畑 愛浩
1
1三重大学医学部衛生学
pp.86-91
発行日 1960年2月15日
Published Date 1960/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202241
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第3回の米国医学協議会の模様を「公衆衛生」にピントを合せて書いてもらいたいとの注文であるが,もともとこの協議会は医学教育全般に関する問題を取扱うためのものであり,会議の全般を通じて「公衆衛生」という言葉はただの一度も話されたことはなかつたのである。従つてこの報告は編集者の企図されたところとはおよそ遠いと思われるが,会議の大体の模様を述べてみることにする。
医学教育協議会はウィスコンシン州マジソン市にあるウィスコンシン大学で1958年6月から7月にかけて3日間にわたり開かれた。参会者は共産圏を除く世界29ヵ国からおよそ100名の博士と肩書のつく人たちであつた。このうちアメリカ側から参加したのはおよそ30名で,そのなかにはフルブライト委員会のE.P.Lam女史及び終戦後我々にも顔なじみの深いOliver R.McCoy氏の顔も見えた。日本からは私の他に,松林久吉(慶応大学寄生虫),宮川ひよし(信州大学生理),中村恒雄(京都府立小児),寺田晴美(東大解剖)鳥居敏雄(北大内科),高木篤(鳥取大学細菌)及び荻原文次(ウィスコンシン大学)(以上いずれも音よみ)の7氏が参加した。参加した者の数のうえからは日本が一番多く,次にインドの5名,イギリス,フランス,コロンビヤのそれぞれ3名というところであつた。
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