綜説
結核治療指針の改正の要点
松本 隆夫
1
1厚生省保険局医療課
pp.7-15
発行日 1957年3月15日
Published Date 1957/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201794
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1.まえがき
(今までの改正経過)
近年まで大気・安静・栄養療法を主とし,特定の病型に対して人工気胸療法やごく一部に胸廓整形術が行われる他には,殆んど積極的な治療法のなかつた結核症に対して,1943年S. A. Waksmanによりストレプトマイシンが発見され,更に同年Rosdahlが合成したパラアミノサリチル酸がLehmannによつて結核菌の発育阻止に効果を有することが見出されて1944年臨床的に結核治療剤として応用されて以来,結核治療学は一大転換を来して,我が国においても輝かしい成果を収めて来た。これらの化学療法についての研究進歩とともに,また一方では外科的治療も一段と進展し,化学療法による病巣の制圧下に,新しく登場した閉鎖循環式麻酔法を利用して,病巣を一挙に取り去る肺葉切除術,肺区域切除術,肺部分切除術等が次々と行われるようになり,従来難治とされた結核症も,早期にその適切な治療を行うならば,数年を出でずして治癒し社会復帰も可能とされるに至つたのである。このような日進月歩の結核治療の進歩に対して,わが社会保険においてはどういう足どりを示して来たかをまずふりかえつて見よう。
まず昭和24年6月には社会保険医療においてストレプトマイシン(以下「SM」と記す)の使用が認められ,その点数計算法が示され,同年9月点数表中に増設告示された。昭和26年4月には,厚生省ははじめて「実地医家に対する結核の治療指針」なるものを設定した。
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