研究報告
宮城縣における肝吸虫感染
小宮 義孝
1
,
佐藤 菊雄
2
1国立予防衞生研究所
2宮城県登米保健所
pp.50-53
発行日 1955年1月15日
Published Date 1955/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201522
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宮城県における肝吸虫症の歴史は明治初年にさかのぼる。即ち当時宮城県本吉郡黄牛(現在の柳津町の医師高屋養仙が,この地に腫病と云われる胃腸障害と水腫とを主徴とする1種の疾病の存在に注意し,かかる疾病はその附近の締切沼の魚介を採取するものに多いと云われていたが,明治17年患者の糞便中に初めて肝吸虫卵を発見し,同19年いわゆる黄牛病で死亡した鈴木安左衞門の死体解剖により,之が肝吸虫にもとずくものなることが初めて確認されるにいたつた。尚この地には明治21年ベルツ博士がその調査に赴いている。
それ以来昭和の初頭までにいたる同地方及びその附近の肝吸虫卵保有者は依然として存在し(表略)また柳津町において大正元年より昭和19年にいたる死亡者より肝吸症による疑のあるものは26名に及んでいる。
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