醫藥隨想
一つの禮儀
吉川 春壽
pp.208
発行日 1950年11月15日
Published Date 1950/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200749
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昨年だつたか一昨年だつたか,ある實驗装置について乙科の先生に意見をききに行つたことがあつた。その時は話をきいただけで,その装置をつくるまでに具體化しなかつたままに,その後の仕事の經過を報告もしなかつたところ,その後どうなつたか何の知らせもないのは不都合だとその先生が立腹して居られると人づてにきいて,それは大變惡いことをしたと,いまさら私達が禮儀にはづれたことをしたのに氣が付き,實驗擔當の若い人に報告とおわびを兼ねて,その先生のところへ行つてもらつた。
工科の方では,機械の工夫とか製造工程の改良とかいふことについての指導を依頼されることが多いだらう。そこの先生方が學識にもとづいて懇切な教示をあたえた場合に,依頼者はたとひ教示にあずかつた通りのことを實行にうつさなかつたにせよ,それはやはり何といつても依頼した人にとつてはプラスになるのであるから,全然なげやりとあつては,禮儀にもとることであるにちがいない。つまり,工科の先生に,裝置のことや何かで教へを請うのは,醫科の臨牀の先生に病人を治療してもらうのと同じ筈なのである。私達が友達の臨牀家に自分自身とか自分の家族知人をみてもらつたあとで,その後の經過を話して感謝の意をあらはすのは一つの禮儀としてなすべきことだらう。かういふときには,何も物質的な謝禮は必要でなくても何かの形で心持を表明することはしなければならない。
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