特集 原子力災害と公衆衛生
扉
pp.927
発行日 2012年12月15日
Published Date 2012/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102600
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原発事故は,すでに米国のスリーマイル島(1979年),ソ連のチェルノブイリ(1986年)で発生していました.“わが国は大丈夫”という安易な安心感のもと,その後も原発が建設されてきました.しかし3.11の東日本大震災を機に,わが国でも原子力発電所事故が現実に起こってしまいました.原発事故は,検証が進めば進むほど,自然災害の結果で仕方なかったという問題ではなく,人為災害の要素が強く,政治経済を含む社会システム災害であったことが明らかになってきています.これも深刻な問題です.
わが国の原子力災害に対する備えは,死者も出た茨城県東海村の核燃料加工施設での臨界事故(1999年)が起点となっています.その後,原子力災害に備えて原子力災害特別措置法が制定され,オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が設置され,住民の避難のためにスピーディシステム(放射能影響予測ネットワークシステム)の整備がなされてきました.そのような体制が出来ていたにもかかわらず,現実に原発事故が起こってみると,準備されてきた原子力災害に対する備えは役に立たず,絵に描いた餅に過ぎなかったことが明らかになりました.
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