連載 ヒトとモノからみる公衆衛生史SEASON 2・1
暮らしとつながる看護—聖路加と公衆衛生看護の展開
山下 麻衣
1
1同志社大学商学部
pp.652-655
発行日 2025年7月15日
Published Date 2025/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.036851870890070652
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
看護の仕事は、病院で病気の人を支えることだけではない。例えば、赤ちゃんが生まれた家庭を訪問して子育ての相談に乗ったり、地域の人々に対して感染症の予防に役に立つ知識を伝えたりと、暮らしの中で人々の健康を支える役割もある。こうした活動は「公衆衛生看護」と呼ばれ、後に「保健婦」「保健師」の実践につながっていった。公衆衛生看護に関わる女性たちは、時代や組織によってさまざまな名称で呼ばれ、その職種名は、保健技手、衛生指導員、訪問看護婦、家庭巡回保健婦、衛生看護婦、巡回婦、学校衛生婦1)など、多岐にわたった。さらに、団体ごとに、済生会では「巡回看護婦」、日本赤十字社では「社会看護婦」と名付けられていた。いずれも地域を回りながら家庭を訪問し、住民の健康づくりを支える看護を実践していた2)。
これから3回にわたり、日本で公衆衛生看護を担った看護婦*1がどのような人たちで、実際にいかなる現場で活躍していたのかをたどっていく。今回は、米国聖公会の支援によって誕生した聖路加に注目したい。

Copyright © 2025, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.