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筋ジストロフィーという病気が世の中で取り沙汰され始めたのは1955年(昭和30年)頃からである.仙台市にある国立西多賀病院の近藤文雄院長は,兄弟3人が筋ジストロフィーに罹かって途方に暮れている一家庭に出会い,何とかしなければと1957年(昭和32年),当局(鳩山威一郎大蔵省厚生担当主計官)に状況を報告して善処を依願したという.また,1961年(昭和36年)に坂本昭(元 参議院議員)は第38回国会で進行性筋萎縮症について次の如く発言している.「…進行性筋萎縮症という非常に変わった病気があります.…一種の身体障害児になるわけです.これが全国にかなりありますが,東京都については約五,六百名の数が明確になって,そしてこの母親たちが,進行性筋萎縮症の母親の会というものを作っているんです.…つまり治るということが今日考えられていない病気です.…だからこの際,一ところに集めて,そして特殊な研究の対象とすると同時に国費をもって教育や,いろいろなことを見て,子供に対して希望を与える.お母さんたちに対しても希望を与える.そういういき方をぜひ作っていただきたい…」.坂本氏は医師であり,国立高知療養所の所長および高知市長を歴任した人で,このような国会発言のもとには何らかの患者家族グループの後押しがあったと推定される.また,坂本氏の発言のなかには国立療養所での筋ジストロフィー病棟の萌芽が読み取れる.1965年前後(昭和30年代中頃),長崎県佐世保市の川崎菊一氏(元 日本筋ジストロフィー協会理事)は子供の進行性筋萎縮症に悩み,このような不治の病を患う人は他にもいるのではないかと全国を行脚し,患者を探し当て,患者グループが草の根式に増えていったという(故 高橋英子,元 協会副理事長談).神奈川県川崎市の高久寅吉氏(元 協会理事)の筋萎縮症を患う息子の窮状が週刊誌に掲載され,関東地区の患者グループ結束の契機となった(河端静子,元 協会理事長談).そして,関東で会員500余名の「進行性筋萎縮症の母親の会」が結成された.
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