胸部外科医の散歩道
心臓移植外科医への散歩道
福嶌 教偉
1
1国立循環器病研究センター移植医療部
pp.136
発行日 2022年2月1日
Published Date 2022/2/1
DOI https://doi.org/10.15106/j_kyobu75_136
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- 文献概要
医学を志す契機は1968年の和田心臓移植であった.当時小学6年生であった筆者は,心臓を置換できることに驚いたと同時に,死者から心臓をもらうという医療に,かなり無理があると思った.もし心臓を造ることができればこの悲しみはなくなると思い,研究目的で大阪大学医学部に入学し,臓器再生を目指すため岡田善雄先生の研究室に基礎配属した.医学生が何を言うのかと思われるであろうが,筆者は研究室活動に「人」を見出すことができず,急遽臨床医を決意した.目前で倒れた患者に対して何でもできるのは外科医だと思い,すべての領域の外科を標榜していた第一外科に入局した.卒後3年目から大阪市立小児保健センターで研修したが,宮本勝彦先生は異動後1週目から心房中隔欠損の,退職までにFallot四徴症の執刀を指導してくださった.当時まだ「心臓を造る夢」を持っていたが,いくら頑張っても救命できない拡張型心筋症と左室低形成症候群(HLHS)の患児に出会い,さらには後の恩師であるBailey教授のHLHS患児にヒヒ心を移植した講演を聞き,考えが変わった.心臓創生には何十年を要し,その間に多くの子供を見送らなければならない現実を注視し,移植の道を決意した.
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