Japanese
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学生の頃から英語が不得手で,いわゆる“英語コンプレックス”の典型であったと記憶している.正直,学生時代に英語の重要性を実感できなかった私は,市中病院で初期研修を開始してからその重要性を初めて実感した.今までまったく努力してこなかった自分にうんざりするとともに,何とか克服できないものかと思い悩んだ.そこで思いついたのが,海外での臨床業務に携わることであった.英語圏に行って好きな臨床をしながら英語を学べるなんて一石二鳥だと考えた.周囲から“欧米の手術技術なんて日本の繊細な外科医のテクニックに比べれば学ぶことなんてない”と言われながらも,ひそかに機会をうかがっていた.大学に帰局してしばらくの頃,同じくトロントにすでに留学していた東京慈恵会医科大学の同期の先生のご厚意もあり,トロント大学のクリニカルフェローとして留学できるかもしれないという話が転がり込んだ.そのチャンスに飛びついたわけだが,そこでの経験は,生まれてから名古屋から出たことがなく,狭い世界に生きてきた私には,未知との遭遇の連続であった.
私は,日本は世界一の科学技術立国だと自負しているが,医療に関してはそう思われていないことにまず驚いた.これはひとえに医療機器に日本製が少ないこともあるのではないかと感じた.もっと車のように日本製の医療器械を売り込むべきと思ったが,規制などの問題でそうも話は簡単ではないのだろう.手術手技は日本の外科医の完成度のほうが高いと感じ,この事実をもっと主張したかったが,情けないことに2年間の留学期間では語学の壁に跳ね返され,志半ばで終わってしまった.次に驚いたのは,大学病院・その関連病院のstaff physicianは金銭的に相当に稼ぐことだ.外来,緊急患者受け入れ,手術など行う仕事はすべて報酬に反映され,その額は日本の公立病院管理職クラスの約5倍である.このような環境なら仕事も楽しかろうと思ったが,そう虫のよい話ばかりでもなかった.Staff physician同士は仲間ではなく,完全にライバルである.表面上の人間関係は良好だが,決して心を許せない関係である.日本のように同じ科のメンバーが協力しあうという姿勢は基本的にほとんどみられない.これは,すべての医療行為が利益に直結する半面,お互いの存在が利益の奪い合いに結びつくからだ.このような状況は私も含め,多くの日本人医師にしてみれば息の詰まるような環境だろう.また,日本の多くの施設ではどれだけ働き利益を上げても,報酬はあまり変わりがない.このことがある意味,欧米のような医療はビジネスであるという考え方になりにくい理由であろう.しかし,医療はビジネスであるという考え方は必ずしも悪いことばかりではなく,自分たちはそれを生業にしているプロフェッショナルであるという意識が高くなるように思う.日本では,病院が満床である,ほかの急患の対応で忙しいなどの理由で救急患者のたらいまわしなどが問題になっているが,トロントでは軽症な例はともかく,手術を要する症例の緊急要請はまず断ることはなかった.一晩のうち,脳神経外科に手術をすぐに要する,もしくは状況によっては手術が必要になる症例が10例ほど入院した日もあった.ただ,staff physicianは家にいて緊急要請を受けるか受けないかの判断は行うが,実際に病院に張り付いてその患者のERでの受け入れ,診察,手術の準備をしているのはレジデントである.彼らはきわめてよく働き,肉体的・精神的には相当強い.毎朝6時から回診し,夜19〜20時まで仕事をする.ほぼ毎日2〜3件の手術をこなし,月に10回近いオンコールを担当し,睡眠時間はなきに等しい.1日のコール回数は160回ほどと聞いた.麻薬中毒,犯罪者,gunshot wound,重症感染症保有者など,日本人なら躊躇するような患者に対しても一歩もひるまない.それでいて,毎週1〜2回のカンファレンスでは症例発表や研究発表を義務づけられている.これは過酷な競争の中で,生き残りをかけたレジデンシーの中で勝ち上がるのに必要なことなのだろうと思う.しかしその反面,技術的に自分でできない手術でも,できないと言わずに執刀してしまう(結果はもちろんよくはない).また,日本人のように潔く自らの失敗の責任を認めるということをしないところは気になるところであった.手術はとにかく早さを求められ,多くの数をこなすことが至上命題となっており,やはり日本の外科医のきめ細かさが懐かしくなったものだ.
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