連載 作業療法を深める・第83回
「価値なき者」の烙印を押されないために—市川沙央の『ハンチバック』
小川 公代
1
Kimiyo Ogawa
1
1上智大学外国語学部
pp.1250-1254
発行日 2023年10月15日
Published Date 2023/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001203571
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ケアについて書こうとするとき,やはり母が家族のために実践してきたケアを巡って考察することが多い.ところが,昨年から難病が悪化してきた母が,ある悩みを抱えるようになった.〈生産性〉のない自分が生きていていいのかという実存的な苦悩である.以前は週に何日か仕事で出かける姉の代わりに孫の夕食をつくっていた母が,自分の食事をつくることさえままならなくなってきた.ケアすることを使命として生きてきた人間からすれば,もはや自分が誰かの役に立つどころか,反対にケアしてもらう立場に立たされるのはつらいことなのだ.「役に立つ生」という発想に取り憑かれた社会では,そう思わされてしまうのかもしれないが,母はひどく肩を落としている.7月に芥川賞を受賞した市川沙央の『ハンチバック』(文藝春秋,2023)は,まさにその〈生産性〉がテーマであり,母や介護する私のような人間にとっては魂に響くようなエンパワメントになる.
「生産的で合理的なものをよいとする」その考え方に,生涯を通じて抗していた先駆的な人物がいる.市川も影響を受けた,障害者でウーマン・リブの運動家としても活動した米津知子である.数年前に観た『何を怖れる—フェミニズムを生きた女たち』(監督:松井久子,2015年公開)という映画にも米津は登場していた.このドキュメンタリー映画には,米津を含む大勢の女性が「リブ合宿」に参加した1971年の映像も映し出されていた.荒井裕樹による米津の評伝『凛として灯る』(現代書館,2022)にも,そのときの写真が収録されている.合宿に向かう前の米津は,右脚の腿に補装具を着け,ホットパンツと「私を見て!」と大きく描かれたTシャツを着用している.
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