卷頭
基礎醫者
山極 一三
1
1東京醫科齒科大學生理學教室
pp.143
発行日 1951年2月15日
Published Date 1951/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905560
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醫學と治病は無關係だと云つたら,途方もない事と眞向から叱られるに相異ないが中にはそれが嘘でないことを首肯する若干の人もあろう。前者は多數且無難で,成績良の及第者ではあるが,聊か概念に流れている嫌いもある。後者は小數且偏頗で稍異端者めいてはいるが,眞實を體驗する正直者の部類には屬する。一體醫學は醫に關する科學であり,自然科學の一分科である。茲で先ず醫の何たるかを解明するのが本筋であるが,假に醫と治とを同義語と解し,醫學とは治病に關する科學であると定義しても大過はあるまい。とすれば醫學と治病とは始めから一體であり,無關係どころの騷ぎではなくなる。だが醫學は「科學」なのであつた。それが治病に關する科學である限り,動機も多くは病人乃至病氣ではある。併し一度其行程の第一歩が踏み出されゝば,舞臺は忽ち一變して,問題は科學の俎上に處理されつゝ行くべき道をひたむきに行く。行くべき道とは,せゝこましい思辨に由て識別せらるゝ底のものではなくして,醫學をも含む科學一般の本質的性格的大道を意味する。斯くて臨床的に捉えられた問題も,學的處理と共に次第に病氣を離れ病人を遠ざかる。それを逸脱として,現實問題への復歸を絶えず心がけるにしても,それは研究分野の擴大を阻止するに止まり,而も如何に限局された分野に在つても,學者の活動の實相は或意味に於いて常に必ず目前の現實問題を離れている。
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