研究の想い出
私の歩んだ道
瀬尾 愛三郎
1
1九州大学
pp.94-102
発行日 1973年4月15日
Published Date 1973/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902951
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小児科学より生理学へ
私は80年近くなつたのでやや老齢である。大正11年3月九州大学医学部の業を卒え,同年4月同学小児科教室に副手として入れてもらつた。当時,この教室の主長は伊東祐彦先生。助教授は箕田貢先生。しかし,翌大正12年10月に同学生理学教室に転じたので,私の小児科教室の生活は1年半には達しなかつたことになる。ここに小児科教室と私の縁について少し述べることにしよう。
私の生国は静岡県伊豆の国で,伊東先生の令室,箕田先生は同郷の関係で学生の頃からいろいろお世話になつた。伊東先生は山形県米沢のお生まれで,天成の小児科医。ある時,私は先生に尋ねたことがある。"先生が患者を診られるのを眺めると,先生は一瞥して病態を理解されるようにみうけられるが,その通りですか?"
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