研究の想い出
40年の薬理学
福田 得志
1,2
1九州大学
2鹿児島大学
pp.132-136
発行日 1969年6月15日
Published Date 1969/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902808
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Ⅰ.学歴抄
大正元年7月熊本の第五高等学校を卒業して同年9月東京大学医学科に進学,大正5年12月卒業後ただちに薬理学教室にはいつた。近代薬理学の創始者ドイツのシュミーデベルグ教授の直弟子の一人で日本における薬理学の開拓者である老高橋順太郎先生がまだご健在で第1講座を担当され,第2講座は少壮気鋭の林春雄先生の担当であつた。私が薬理を選んだのは,この先生の指導をうけるためであつた。しかし熊本在の郷里で先祖代々の医業を継いで忙しく働きつづけていた老父は,早く内科を勉強して帰郷の準備をするように望んで止まなかつた。大正8年父がたつての要請で止むなく薬理の勉強を断念して三浦謹之助先生の内科で臨床の勉強を初めた。ところが9年の秋になつて,運命は私を再び薬理につれ戻すことになつた。大正の新大学令によつて,いくつかの大学の設置が予定されたが,その中で千葉医科大学(千葉医学専門学校の昇格による)の大正12年度開設が決定したころの或る日,私は薬理の林先生の教授室に呼ばれて,新設の千葉医大薬理学講座の13年から設置が内定したから,その準備のため薬理教室に戻つて来い,講座担任教授に推薦の予定だ,赴任前に2カ年の外国留学の恩典もある,とのお話であつた。私の薬理学における40年の行路はこのようにして定まつたが,その学歴の大要は次のようである。
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