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◦はじめに
本稿は書評になっていない。感染症専門医が家庭医の執筆した本の書評を書くこと。それは、町中華のおやじが寿司屋のシャリやネタを講評する、あるいは火星人が『地球の歩き方』を書くようなものだ。依頼があった時、あまりに門外漢である評者は、藤沼先生の浮間診療所を訪問し、外来にも陪席させていただいた。そこで見えてきたものを書き並べてみることで、今回はお許しいただきたい。
コロナ禍が始まる少し前、赤羽の飲み屋で初めてお会いした藤沼先生の印象は、言わば「ごんぎつね」であった。おおらかにゆったりと日々を過ごされる診療所のお医者さん。朝、藤沼先生が診療所の戸を開けると、地元の患者さんから野菜や煮物が届いている…(笑)。しかし、これは極めて表層的な印象であることを、やがて評者は思い知るのである。
ちなみに、すでに著名な総合診療や看護領域の先生方から優れた書評が寄せられているので、ぜひ併せて参照していただきたい。
のっけから迂遠な話しになるが、米国感染症専門医は制度設立当初、放射線科医師と同様に患者を持たない職能として位置づけられた。評者は、患者とのやりとりで“Ⅰ型アレルギー”を起こすことが多く、教え子たちは「プライマリ・ケアは絶対無理」と太鼓判を押す。そのような評者にとって、患者を持たない米国感染症専門医はうってつけの専門領域と言えた。
しかし、これをHIV感染症が変える。感染症専門医もAIDS患者の主治医となるのである。評者が初めて米国の地を踏んだ1984年、それは奇しくもHIVが発見された年だ。その後10年あまり、若者がニューモシスチス肺炎でAIDS発症、彼らの100%近くが2〜3年以内に死亡するという凄絶な時代が続いた。評者は、「若者の生命を1日でも長く」に注力した。
それが今や、HIV陽性者も1日1錠で天寿を全うする。HIV感染症の問題は「CMV網膜炎による失明」から、天寿を全うできるが「生きがいがない」という問題に変化したのである。まさに、『卓ジェネ』で言う「疾病(disease)」から「病い(illness)」への変化である。評者は、この変化を生きないで医師として歩んできた。しかし71歳となり、コロナ禍に加え、プロフェッショナルにも潮時と思い自宅で過ごす時間を増やすと、“卓ジェネワールド”は、患者側の立場に移りつつある自分に近いものとなり見えてきたものもある。
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