教育のひろば
落書論戯考
秋元 照夫
1
1名古屋大学
pp.5
発行日 1967年7月1日
Published Date 1967/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905840
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炉端の酔想放談も,あながち無駄口ばかりには終らない。近頃,ほんとに落書が少くなった,という話題になった。大学では貼紙やビラが目障りだが,ちゃんとした言論の目的があるから別だとしても,高・中・小学校と下がるほど明瞭ではないか。大正・昭和初期に学校時代を過した私が感心しているし,数年違いの後輩も同感だからまちがいない。ずっと若い人には実感が無いはずである。
学校の机,電信柱や家の塀はもちろん,白壁なぞは無残なもの。もへじの顔やバカの字などはざら。SEXにつながる文字や絵も少くない。WCでは一目で恥しくなる。だが,心を打つすばらしい傑作もあった。そこで,落書であれ楽書であれ,幾度となく訓戒や叱責の種になっていた。しかし,昔の高校は落書の名所で,寮祭ではそれが謳歌された。奇想・警世の名句に満ち,総じて哲学的文学的である。こうした才気の発露奔流は人間的成長・思想的発育の生理的社会現象だったらしい。
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