特集 明日にかける保健婦活動
私が勝ちとったものは何か
巽 泰子
1
1下市町役場
pp.200-203
発行日 1976年4月10日
Published Date 1976/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205698
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ある町役場の先輩保健婦の活動から
保健婦としてスタートをきってから,丸3年がすぎようとしている。それまでは東京で看護婦として働いていたのだが,やはり私にはなじまず,田舎へ帰り1年の学院生活の後,地元の役場へ就職した。今から思うと,顔が赤くなる程当時はきおいこみ,理想に燃えていた。なぜなら,私は役場がはじめて迎える保健婦であったから。
就職を決めた時点で私は活動の抱負を次のように書いて提出した。"保健婦活動は目にみえて成果の上がるものではない。健康に対する自覚を高め権利意識を向上させることは,短期間では不可能であるから長い目でみてもらいたい。たったひとりの保健婦を有効に使うということは,保健婦本来の活動に従事させることだと思う。予防接種には出ない。地区に健康推進委員会を作ることを目標に,地道に活動をすすめていきたい。又,保健婦の資質の向上が,ひいては住民の健康生活の向上にはね返るのであるから,研修教育については十分考慮してほしい"等である。給与についても,同じ資格で保健所なり市町村に就職するのであるから町村の職員と比較するのでなく,県並みにしてほしいということを,町長に直接会って要望し,聞き入れられることになった。
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