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田中内閣の性格と"方向"
久米 茂
1
1深夜通信
pp.67
発行日 1972年7月10日
Published Date 1972/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205110
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装いを新たにするために
まず,田中内閣はどうして出現したのかということを考えたい。
戦後政治は周知のようにアメリカの世界政策—冷戦構造型の—を支柱として進められた。つまり米ソ対立(のちに米・ソ中対立)という国際緊張のもとで,アメリカの核の傘に庇護されて経済成長を図った。"図った"のは保守党とそれを支えた大企業大資本である。吉田・石橋・岸・池田・佐藤という歴代内閣の基本性格は世界政治の冷戦構造を利して,対米協調のもとに生産向上=高度経済成長を突き進むことであった。そしてそれはGNP第2位といわれるほどに"成功"した。この一連の政治の国民に対する姿勢は,表現に硬軟の差はあっても,力の対決であった。とりわけ佐藤内閣はそうであった。その外交路線は中国,ソ連,朝鮮民主主義人民共和国などいわゆる共産国の敵視政策もしくは否認政策であった。それは史上にみない経済成長と,アメリカの軍事力をてことし背景としてやられてきた。
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