特集 カレン裁判—‘尊厳ある死’と看護
カレン裁判—私はこう考える
‘生きている’ことの証を探る
木原 陽子
1
1筑波大学付属病院看護部
pp.809-810
発行日 1976年8月1日
Published Date 1976/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917944
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‘カンレさん,呼吸器を外したそうよ.でも(自力で)呼吸をしているということらしいわ’と,朝出勤してから友人の第一声を聞いた.私はなぜか‘呼吸している’ということを聞いただけで,ズシーンとしたわけの分らかないものを胸に感じて,‘ふ一ん’と返事をしただけだった.器械を外しても自分で呼吸している,人間の体って分からないものだな──と同時に思った.
いつか,器械の呼吸と人間がする呼吸が同じ1分間24回でも違うということを,心臓外科病棟にいる同僚から聞いたことがある.どう違うのか,彼女の言葉でははっきり思い出せないが,とにかく,人の呼吸は,その人にあったリズムやその時の感情,あるいは細かい思考の流れや意志などによって,微妙に違うということらしかった.もちろん意識の明瞭な場合は‘息苦しさ’で,その調節呼吸は自分にあっていないということが分かるのだろう.
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