研究旅行記
「胸せき」調査に参加して
北島 貞子
1,2
,
森塚 美智子
1,2
,
川野 秀子
1,2
,
永岡 紘子
1,2
,
森山 トヨカ
1,2
,
深川 征子
1,2
,
安阿 光正
1,3
1対馬疫学研究班
2国立福岡中央病院附属高等看護学院
3国立福岡中央病院対馬疫学研究班
pp.92-95
発行日 1965年8月1日
Published Date 1965/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917431
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予防医学にも若人の目を
国立福岡中央病院対馬疫学研究班は,はじめ昭和35年夏,国立筑紫病院において対馬生れの1少女が肺吸虫病にたおれ,剖検によって病因が明らかにされたのを機会に,国立筑紫病院肺吸虫病研究班として発足し,対馬に多い肺吸虫病が全く無知のための病であり,その実態把握と医学の社会化による本病予防を目的として生まれました。しかし研究班といっても,はじめはただ3名の医師が集まっただけで,疫学的調査や啓蒙に要する費用のほとんどが,それら個人の費用によってまかなわれてきました。その後本病予防の重要性がしだいに認識され,昭和38年には厚生省指定研究を受け,対馬町村会支援の下に51名の肺吸虫病患者を国立対馬病院に収容し,ビチンによる集団治療が行なわれ,今日ほぼその目的を果たしました。ついで39年夏には,それら治療患者の1年後の経過を観察し,あわせて対馬の他の1つの風土病と考えられている,いわゆる「胸せき」調査が行なわれることになり,私たち6名もこれに参加することができました。
都会の病院を学習の場とし,医療というものはこのようなものだと理解していた私たちにとって,離島に住み種々の風土病に悩まされている島民の生活を実地に見聞し,島の医療の実態を知ったことは,大きな収穫でした。
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