連載 戦後看護史の断面を聞く・4
初の協会会館建設と焼失
河村 郁
1
,
小林 冨美栄
2
1前神奈川県立公衆衛生看護学院
2東京女子医大病院
pp.90-92
発行日 1968年2月1日
Published Date 1968/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913887
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●第1次移転の前後
小林 協会会館の移転をめぐるお話に入ってきましたが…。
河村 日赤の間借りから移転先を協議している時,横山フクさんから—横山さんは当時助産婦のほうの委員だったんですが,九段の助産婦会館が,戦災は受けないけれどもここも荒れてはいたんですが,それを貸してもよいという申し込みがあった。そして都の軍政部のパネッサさんも借りるようにというので,理事会を開きました。みんな賛成となりましたが,私はパネッサさんと会館を見にいったことがあったので反対したんです。荒れたのを修理するにも相当多額の費用がかかるし,高い家賃を払うことも不利だと思うのとどんなに小さくてもいいから広い土地を買って,将来の会の発展に応じて建物を拡張できるようにしたい。
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