連載 戦後看護史の断面を聞く・5
新会館と研修会館の建設
河村 郁
1
,
小林 冨美栄
2
1神奈川県立公衆衛生看護学院
2東京女子医大病院
pp.58-60
発行日 1968年3月1日
Published Date 1968/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913915
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小林 協会は火事という災難を次の発展へとうまく処理なさったことがよくわかりました。私のところで4月から短大を開こうとしているので,この間から敷地のことなど話し合っていたんです。そうしたらある幹部の方が,「当時の理事者が看護協会に土地を売って,協会はそれを住宅公団に売ってしまったが,あの土地があったらよかったんだけどね」ということでした。建物ばかりでなく学校としての運動場などに適当ですからね。
河村 私は当時理事だったので,協会と女子医大との交渉経過などは単に報告を聞いて,井上会長のご努力や久慈先生(当時の学長)はじめ大学当局のご厚意を感謝して,購入の承認の議決をしただけですが,火災後の土地処理については,会長は林さんで他の役員と共に直接担当しましたからよく記憶しているんですが,女子医大のご意向は十分に承って,ご諒解の上で公団へ売却したんです。女子医大とすれば,今となっては借しいことだったわけですね。十余年前とすれば,女子医大も今日ほどに発展なさろうとは予想できなかったのね。見通しが悪かったのではなく,当時はどんな団体でも戦後の復興という当面の問題で大変な苦労でしたから無理もなかったでしょう。歴史というか過ぎたことは,その時代の社会状勢などを考慮に入れて批判することが大切なことだと思いますね。
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