特別寄稿
アメリカの病院での頻死の患者とその看護
アンセルム・スツラウス
1
1カリフォルニア大学看護学校
pp.21-23
発行日 1963年4月1日
Published Date 1963/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911899
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2年前私は一連のナースに囲まれ次のような質問を受けた。すなわち《ナースが頻死の患者を看護する際に直面する諸問題は研究会としてぜひ取り上げなければならない特別テーマではないか》ということであった。私は直ちに研究会を開き,それが成功裡に終わったことは述べるまでもない。ここアメリカの病院のほとんどの勤務ナースがそうであるように,私が教鞭をとっているカリフォルニヤ大学附属病院の勤務ナースも,たえず頻死の患者を目の前にし種々の問題に悩まされている。しかもなお,これらの患者はつぎつぎに多くの難題を後に残してゆくのである。これらの問題のうちいくつかは共通性をもっている。というのは,死はつねに悲しく陰気なものであるから。しかし看護それ自体に関連する問題も多々ある。したがって研究会で討論されたことは,《ある患者が死亡した時,それを他の患者にはどのように伝えたらよいか》とか,《ある患者に自分は死ぬのではなかろうかと問われたとき何と答えたらよいか,また《感情的に患者にまきこまれないためにはどうしたらよいか,その患者が死亡した時より自已を冷静に保ちうるだろうか》とか《患者が死の苦しみにのたうつ時,それが増悪しつつ数日つづくとしたらどうしたらよいか》そして最後の論題としては《昏睡状態もしくはひどい苦しみが続く時,しいて近代医療器具によってその生命を保たせることは正しいのだろうか,いやむしろ早期に死なせる方が》ということなどであった。
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