音楽講座
バイエルの舟唄—(66番)
山本 金雄
pp.174-176
発行日 1955年4月15日
Published Date 1955/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909817
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1月25日,夜の東京を後にして,急行早鞆号は一路西へ西へと,ばくしんして,目的の四国へ上陸する為,宇野より連絡船で,到る処,名所史跡でない所はないと迄いわれる。四国への第一歩を踏み入れましたのが26日午後でありました。
今回の雄行の目的である。高知放送合唱団及び松山放送合唱団の指導並に放送のスケヂユールに合せる為,屋島の古戦場,庭園の美を袴る高松市内にある栗林公園を見学,琴平の金比羅様の往復四千幾つの石段を上り下りしてお参りを済ませ,22日夜7時15分南風号で南の国土佐に到着致しました。3日間,放送合唱団を指導の傍ら,世界的に有名な龍カ洞,これは長さ千米,高さ百米に及ぶ洞でありますが,三宝山という海抜300米位の低い山の中腹から頂上近くに及ぶもので,背をかゞめ,或いは起伏はげしい石に冷汗をかいたり約1時間余かゝり,鐘乳石の結晶の美しさと何万年か前に人が住んで使つていた土器が,石灰の為に岩について了つていたり,考古学上非常に有名なものですが,何と全部発見されたのが25年前だそうで,驚きました。高知より1時間程のバスでまいりますが,高知近郊には月の夜巖うつ波を見ながら酒宴をはる桂浜,高知より住復12時間も,電車バスに揺られていく室戸岬等,珍らしい風物に楽しみました。高知のスケヂユールを終えて,坊つちやんと子規と城でもつ松山へ向つた。
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