発行日 1954年12月15日
Published Date 1954/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909716
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先月に続いて投稿短歌の批評を中心にしたい。まず,諏訪赤十字高等看護学院の河野裕子さんの三首,(1)整形のせし跡ありしカリエスの患者の背を洗える日もあり
(2)漕ぎ出でて心よき風身に受けぬ波静かなる湖の夕べに
(3)満月の月影照りぬ湖の打つ波音の今日も高かりについて味つて見よう。
いずれも一読だけで,意味はわかる。意味のわかるのは当り前ではないか,という人があるかも知れないが,実は,この当り前なことが,なかなか思うようにはゆかないものでもあり,また案外大事にしないものでもある。短歌はいうまでもなく,言葉を文字によつてまとめる芸であるから,文字を通していつていることがわからなければ,全く芸にはならない。芸とは,単に自分自身・作者自身にわかつたつもりでいるものをいうのではなくて,対者にもわかるものである上に,更に,何らかの意味での興味を対者に持たせなければならないものである。自分自身でもわかり,対者にも共感・興味を生じさせるもので,その対者の範囲の多少や,対者の教養程度,その他いろいろな条件が加わつて,それぞれの芸としての価値や比較が論ぜられるのであるが,まずその第一歩として,「わかる」ということが何よりも大事である。そのためには,第一に作者自身において,言おうとすることがわかつていなければならない。つまり,何を言おうとするか作者自身が,確実に対象を把握しなければならない。
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