発行日 1954年12月15日
Published Date 1954/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909702
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この療養所は,ドイツから帰朝された佐々木政吉先生が海浜療養の必要性を感じられ,明治30年に杏雲堂医院の分院として神奈川県平塚市に建てられました。昭和20年7月の空襲で病棟1棟を残して1万5千坪の敷地は一夜で焼野原になりました。その焼跡に本年7月1日,鉄筋コンクリートのスマートな本館が落成されました。現在52病室,入院患者152名に27名の看護婦さんは文字通り手不足ですが,完全給食は着実に行われています。9時30分から始まる外来も所長の松岡先生の診察日には朝早くから来院する患者さんのために所員が自発的に8時から仕事を回転させ,患者さんの恢復にできるだけの努力をしています。看護婦さんの住いは,本館からおよそ3分のところにあり,木造平屋作りの寄宿舎は閑静で,都会の現実には縁遠いものかもしれません。8畳の日本間に2人ずつで,3尺の廊下がつき,下駄をつつかければ,砂地に四季折々の花が咲きみだれています。難をいえば,単調さからか若い看護婦さんが東京に憧れるようです。所員のためにスクエヤーダンス,バレーボール,バトミントンなどのコートも着々準備されています。市内の区劃整理で敷地が道路で2分されたのは所員と患者さんのなやみでしよう。相模湾をわたる風が松の小枝をゆすり,冬暖く夏凉しいこの湘南の療養所で高山樗牛が晩年の1年を過したのもなつかしい思い出です。
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