発行日 1953年5月15日
Published Date 1953/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907288
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古美術の都としては,幾日觀ても見つきることのないローマ,「ローマは一日にして成らず」の言葉通りに,この町のゆかしさは,格別のものである。いま,その傳統の都ローマはさておき,この町に近代の業績をもとめるとき,ローマはまた新しい施設にもめぐまれ,世界に存在を知られる一つに,フォルラニーニ結核研究所がある。………私は結核に就ての知識は,何に一つないけれども,世界的と聽いては,ヤジ馬根情も手傳つて,一應見るべきもののように思い,世界一流の結核病院を,世界一の結核國民が見學するという,皮肉なことになつた。それは,昨年の九月十七日のこと,私はカソリックサレジオ會の日本管區長レナルド,タシナリ神父と一緒に出掛けた。…………研究所は,ローマ市の南部にあたり,郊外に近かく,通稱「モンテヴェルデの丘」にある。さすがに快適なところで,有名なカンパニアの平野を一望のうちに見渡すところである。この研究所兼病院の廣さたるや,二百五十萬平方フィートもあつて,實にヴァチカン國の半分以上の面積である。見學して感じたことは,
第一にこの研究所に六十名の醫師が居るのであるが,その醫師の立場は,ヵソリック修道女である。童貞さんの下の地位におかれていることである。いかにカソリックの國とはいえ,もつとも高い職籍が,童貞さんで,童貞さんの立場からは必要があれば,醫師に對し命令をもつて仕事をさせる仕組であつた。
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