発行日 1951年11月15日
Published Date 1951/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906970
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病院が第2の故郷となるまで精神病者と生活して來た自分は,過去を振り返つて見て総てが餘りにも無自覺な其日暮しの月給取り根性に終つたことを恥かしく感じて居る次第である。
終戰後急激に變遷しつつある社會情況に對し精神病院に於ては絶對的に必要な吾々看護人も現在の儘で安閑と過す可きでない,と同志の者が相寄り話合つた結果5年以前に全日本看護人協會と言うささやかな會を持ち,取敢えず同業者相互の親睦と各自に質の向上を計る事を主なる目的として牛歩ながら漸次生長しつつあるのであるが,國試制度の制定により當協會員は此れに應ずる事を申合せた。正直に言つて自分は正規の看護學を受けたのも早や25年の昔であり,既に50の坂を越した昨今では積極性を缺き昨年度は遠慮したが然し協會の目的とする重要事項に該當する國試は當然行う可きであると決心し勤務の間や夜間は眼鏡のお世話にまでなり,たとたどと子供の樣に先輩方の教を受けたりして勉強を續けた。「然し自分は永年勤續と言う點だけで看護長の職名を頂いて居るが,若し不合格の場合一寸引込みのつかぬ形となるし,一方近い内に再講習で無試驗受資格の時機が來ると言うのに態々恥をかく必要はないぞ。海路の日和を待てば良いではないか」なぞと封建性の心理が後からつつく,だがその樣な古い頭であつたからこそ十年一日で自分の進歩が少しも無かつたのだ。
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