特別寄稿
祖国を遠く離れて—東京にサポートシステム誕生—Tokyo Childbirth Education Associationの活動
エレーナ・ド・カープラス
1
,
渡辺 邦彦
1東京出産教育協会
pp.239-242
発行日 1998年3月25日
Published Date 1998/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611901898
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大きな部屋のよく磨かれた木の床にはクッション,マット,椅子がいくつも置かれている。軽音楽が静かに流れ,部屋のあちこちでカップルがくつろいでいる。全員が集まるとクラスが始まり,みんなが順々に自己紹介をする。まず最初に私が,「私はアルゼンチンで(両親の寝室で)生まれましたが,結婚後はずっと(27年間),4つの大陸の6つの都市で(そのうち2つの都市では2回)過ごしました。4人の子供のうち3人は日本で生まれ,一番下の子はニューヨークで生まれました」というように自己紹介する。次いで,それぞれのカップルに自己紹介をしてもらうが,その際,グループのみんなと話し合いたいことがあったらなんでも話すように勧める。
出席者が「この出産教室は今までのとどこか違うな」と気づくのは,このときである。出席したカップルは10組であるが,国籍が同じ人はあまりいない。私は黒板に彼らの国名を書いていく。日本-3,スウェーデン-1,ペルー-1,シンガポール-2,合衆国-3,英国-3,オランダ-2,ドイツ-2,ホンコン-1,韓国-2である。もしこのときクラスに入ってきた人がいたら,私たちが話し合っているのは国籍のことではなく,オリンピックの金メダルのことだと思うだろう。
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