連載 助産婦職能の変遷を探る・27
助産婦会の看護協会からの独立
大林 道子
1
1東京女子大学短期大学部
pp.880-887
発行日 1987年10月25日
Published Date 1987/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207243
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戦後の助産婦の歴史を見るうえで,日本看護協会(以下協会と省略)の助産婦会が,協会から離脱して日本助産婦会として独立した事件は大きな意味をもち,また,保助看三婦統合の問題点を浮き彫りにする。
まず,この事件の経過を紹介したい。保助看三婦を統合して結成された協会は,それぞれの職能別部会をもっていたが,予算は各部会の独立採算ではなく,協会として一括する形であった。保助看三婦の年齢や業態など背景の違いからくる異和感や,予算や活動に制約があることなどから統合に不満をもつていた助席婦部会は,1953年,協会会長井上なつゑが国際看護婦連盟(ICN)大会に出席しての報告で,助産婦はICNの正会員の資格がないとするICNの見解を伝えたところから,独立の動きを表面化させた。それをなだめる方策として,協会は1954年の総会において,各部会をそれぞれ保健婦会,助産婦会,看護婦会と改称し,独立性の強い連合体の形に改組するよう定款を改正した。これにより,予算も各会の独立採算となった。
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