私と読書
「パルモア病院日記」を読んで
新井 敏彦
1
1東京女子医科大学母子総合医療センター新生児部門
pp.542-543
発行日 1987年6月25日
Published Date 1987/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207165
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新生児の「闇の谷」に光をあてた老医師の清廉な姿
わが国の新生児死亡率は,今でこそ各地に周産期センターや新生児集中医療施設(NICU)が整い始め,世界のトップレベルまでになったが,ほんの少し前までは周産期医療という言葉は限られた人たちの概念でしかなかった。いわば,新生児は産科と小児科の間の深く暗い谷間に置かれたままであった。医療者の間でも「助からない子は弱かったからであり,早く忘れて次に元気な子を産みなさい」というような納得のし方,させ方が支配的であり,新生児とその母は,長い間医学の進歩の恩恵にあずかることができずにいた。
しかし,このような暗く悲しい時代,終戦の傷痕も残る昭和26年から,すでに周産期医療の必要性を説き,自らの地位,名誉を捨て,産科と小児科が協力した周産期医療を実践している医師が存在したことを多くの人は知らない。
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