連載 助産婦職能の変遷を探る・11
日本助産婦会解散(1948年)までの推移
大林 道子
1
1東京女子大学短期大学部
pp.64-71
発行日 1986年1月25日
Published Date 1986/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206801
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私は,敗戦直後のGHQ公衆衛生福祉局看護課の,オルト氏をはじめとするアメリカ人ナースたちの指導した制度改革ここだわりすぎたかもしれない。しかし,その後の助産婦のあり方を決める厚生省の施策,産婦人科医と助産婦との関係,日本看護協会からの助産婦部会の離脱等々,この最初のころの経緯をよく分析しておかないと,なかなか理解できにくいと思い,執拗に追求してきたのである。
今回は,1948年5月27日,日本助産婦会が解散するまでの推移を見ておきたい。本連載第2回,第3回で,日本産婆看護婦保健婦協会設立の事情を述べた。GHQは保助看三婦のそれぞれの団体を解散して,協会一本にまとめる計画であった。看護婦と保健婦に関しては,協会結成準備会のその場において解散宣言がなされ,新しい組織にすんなり連続していったのであった。しかし,日本助産婦会のみはそうはいかなかった。新しい協会設立後1年半を経てようやく日本助産婦会を解散し,完全に一本化ということになるのである。おさえておきたいことは,日本産婆看護婦保健婦協会の結成と,日本助産婦会の解散は別々であったということである。
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