助産婦の仲間を訪ねて・7
母子の安全が家系的使命のような—深谷市菊地医院の菊地ヤシさんの場合
藤原 美幸
1
1前:東大病院
pp.476-478
発行日 1975年9月25日
Published Date 1975/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204918
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
■医師・助産婦の姉妹を頂点に
貴重な資料を拝見させていただいた。明治30年代の助産婦(産婆)国家試験合格証書である。おそらく第1回の受験生であろう菊池タキさんは毛筆で答案を書いたそうである。89歳になられた現在,病床に臥しておられるが,ヤシさんと母娘で深谷地区の母子保健向上に精進された方である。
母娘で深谷の妊産婦を訪問していた頃,東大医学部付属産婆復習科の第1回生の方がヤシさんを大変可愛がってくださり,そんな理由からヤシさんも13回生として産復で学んだという。卒業後,深谷には帰らず,横浜病院で5〜6年,そして更に北京大学の産科婦長として中国にも渡ったが,終戦直前に家事のつごうで帰国,それ以来,菊池助産院を経営しながら妹さんたちの面倒をみてきたそうである。
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.