レポート
母親学級を開催するまでの経過とその実際
下出 はな
1
,
上道 房枝
1
,
阪本 秀子
1
,
桐山 美知子
1
,
望月 聖子
1
,
峐下 喜美子
1
,
桑谷 昌子
1
,
北村 美津子
1
,
政井 ヨヱ
1
,
鎌村 邦子
1
1高山赤十字病院産科
pp.42-44
発行日 1972年11月1日
Published Date 1972/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204434
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はじめに
妊産婦保健管理は,近年各方面から認識されるようになり,妊産婦に対する指導や教育は,妊産婦保健管理の上で重要な位置を占めている。われわれ病院に勤務する助産婦としてその必要性は日ごとに感ずるところであり,そのひとつとしての母親学級開催は私達長年の夢であった。
しかし過去においては外科,産科,婦人科,眼科,耳鼻科などの混合病棟であって,年間400件以上の分娩介助を3名の助産婦でやらなければならないなど,いつも母親学級の開催は断念しなければならなかったのである。その後皆の努力もあって,年々それも解消されてきた。47年度に入り助産婦も9名となり,全員が強い使命感と熱意を持ち,一致団結して頑張った。その上に助産婦の良き理解者である病棟婦長の協力が得られたこと,総合病院の中の産科としてはむずかしい周囲の理解が,考えていたよりスムースに得られることなどがタイミングよく合致して,47年11月中旬にようやく開催の運びとなったのである。ここで開催までの経過とその実際を発表したいと思う。
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